時間とお金と乗り物のこと研究中

じぶんでやってる仕事と副業2つ 人に雇われて生きると人間関係がすごく大変なこと思い出しました

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稲葉ソロSAYONARA RIVER「泣き濡れた日々未来はこの向こう側」考察中

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去年1番よく聴いた歌った曲は数えてるわけではないけれど感覚でこれだな!と思うのがSAYONARA RIVER 

この曲は去年行われたのINABA / SALASのライブのオープン二ング曲

本人をスタンディング8列目、ドームやアリーナで言えば一列以上かもしれない距離で観れたことがよく聴いた要因の1つなのかもしれない

SAYONARA RIVER を聴いてぼくが思ったことをただ書いてみる。

何かを変えたいとき1番効果があるのが環境を変えてしまうこといやでも変化する。

環境を変えるためには家にあるものや会社、同僚、友達、住み慣れた街、コミニティーなどあるがその中で失いたくないものは何個あるのか?

なにか大きく変えたいとき、社会人になったときを思い出すとその時の環境を全部放り投げてきた経験は誰にでもあると思う。

そのとき必ずよかれと思って引き止めて来る人がいる。

自分は変化しないため同じ位置にいてほしいと思う心理も働くためではないだろうか。

例えるならマカロン大好きおデブちゃんが2人いて1人がマカロン太るからやめると言い出したら自分はデブのままで相手にダイエットで成功でもされたらなんだか嫌な気分になる。

そんなとき無理したら体に毒だよ!甘いものは別腹だよ!脳には糖分が必要なんだよ!疲れてるときは甘いのがいいんだよ! マカロンおいしいよ!と必死に引き止めようとするのではないだろうか。


「その声は届かない」例えは悪いけどその声とは引き止めようとしてくる人の声ということだと思う。


まるで村から出るような情景を思い浮かべてしまうが、皆が寝てる間に燃え尽きていまの慣れきった生活から抜け出す気力や体力がなくなる前に川を渡れと言われてるようだ。

「川を渡れ」でぼくが思い出すのは「ルビコン川を渡る」ということ言葉の意味を調べてみた。

ルビコン川を渡るとは、ある重大な決断・行動をすることのたとえ。

ルビコン川とは、古代ローマ時代、ガリアとイタリアとの境をなした川で、ルビコン川より内側には軍隊をつれてはいってはいけないとされていた。
違反すれば反逆者として処罰されたが、ユリウス・カエサルが大軍を引き連れてこの川を渡り、ローマへ向かった。
カエサルは「賽は投げられた」と叫び、元老院令を無視して渡河したという故事に基づく。
このことから、もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすことをいう。

カエサルも泣き濡れた日々を送りながら決断したのかもしれない未来はこの川の向こう側にある「賽は投げられた」

 

自分の周りに日々現れる人間関係で意地の悪い世界に遭遇すること

期待してくれた人にすまないような気になることで涙して

それらを変えれずに歳をとってしまい、いまさらとなにもかもどうでもよくなる前に川を渡れと諭されているようだ。


雄風という言葉を辞書で調べてみると

1 勢いよく吹く気持ちのよい風。
2 力強く雄々しいようす。
3 風速毎秒10.8~13.8メートルの、風力階級6の風。

it’s not too lateをグーグル翻訳で調べてみると

遅すぎることはありません


自分の目の前にある川(現状)を周りに流されることなく泳ぎきってごらんよ

日々の人間関係から目を覚ましてごらんよ、その場所に留まり続けることで受ける無駄な傷はもういらないよといった稲葉メッセージとぼくは解釈している。


雄風を受け川を泳ぎいままでの自分や環境や人達にバイバイ

泣き濡れているいまの日々にサヨナライツノヒカ

未来はこの向こう側

「この」とは「泣き濡れた日々の向こうが側」にあるということではないだろうか。

人生を振り返ること確かにこの向こう側にいつもあった。

この曲はライブで目の前でスーツに片足をステップ踏んで歌ったあのときの臨場感は忘れられないものがある。

やはりハコが小さいと当たったときに近くで観れる可能性が高いぼくの場合は稲葉ソロで品川ステラボールとzepp tokyoで目の前で本人を見ることができた。

遠くからいつも観ていて「いつの日か目の前」でと思っていたが「未来はこの向こう側」あったのだ

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