時間とお金と乗り物のこと研究中

ただの日記、いや落書きです。時間を奪う誤字、脱字は容認する適当力強化月間です∑(。・д・。)bリコが拾った青いネックレスは終盤の感動の種だと思う。

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B'z LIVE-GYM Pleasure '97 ライブを観ようと前日夜に当日券があると思って凍えながら東京ドームのトイレで一夜を凌いだ田舎者の話

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ぼくは今までB'zのライブを97年のFIREBALLツアーからそれ以降開催された年のライブコンサートはすべて観てきた。
 
97年以前のライブは未成年であったことライブを見るお金がなかったこと住んでいる地域が離島のため会場に行くことさえできなかった。
 
今でも96年のLOOSツアーを生で観たかったなぁ〜とすごく思っている。
 
僕の中では稲葉浩志をこの「この年が顔が1番最強だったという」ものがある。
 
それが96年と97年の稲葉で少しの差で97年の稲葉なのだ。
 
パーマに金髪 ストレートの金髪のワイルドな稲葉の頃
 
CDで言えばマグマの頃とFRIENDS IIのころ
 とくにストレート金髪の稲葉はかっこいい

なにが❓顔がだね


97年に初めて東京に来きた。

右も左もわからないような状態からなんとか

羽田に着いて最初の目的地は町田だったのだがその当時の学校の先生に町田は遠いから乗り間違えないようになと教えられていた。

浜松町に着いて山手線に乗り何個か通過したあと電車が減速してホームに止まろうとしたとき
 
看板を見上げたら町田と書いてあったのであわてて降りた。

なんだぁ~町田てすぐ着くなと思って看板をもう一度見上げた。

田町だったーー⁉️

なんとか新宿につくも列をなして歩く人混みに
この向こう側に行くにはどうやって「この人の壁を越えて行けばいいのか」と思案にくれたりしながらなんとか着いた。。

町田でぼくはイタ飯屋に就職をしたのだ

人生初の社会人なぜイタ飯屋だったかというとただ東京に来たくて面接だけで採用してくれて交通費も田舎からの往復で8万近く出して上京するときも飛行機代をだしてくれたからで勉強のできないバカにはありがたい店だった。

それから10日後ぼくは祖母から給料出たら返すからと言って借りた五万円とともに夜の23:00に水道橋に初めて降りた。

1997年3月22日のことで駅を降りて初めての東京ドーム辺りは真っ暗で誰もいなかった。

目的はただ1つ、次の日に行われるB'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALLのコンサートのチケットを持っておらず

当日発売なるものがあるのではないかと期待して朝一に並ぶため来たのだが

田舎者の空想でしかなく次の日に当日発売などそもそも存在しないことが後になってわかったのだ。

東京ドームについたときはテレビで見るドラクエの発売日ようにファンが夜のうちに並んでいるものだと想像してこれから並ぶものだと思い込んでいた。

1番乗りで自分は来たんだなと思っていたのだが待てど暮らせど誰も来ない

来るのは巡回の警備員と吹きつけくる冷たい風だけで深夜2時ぐらいにいよいよ寒さに耐えれなくなった。

それまで南の島に住んでいたので東京の夜の寒さは非常に辛くトイレに籠るも耐えらずコンビニにホッカイロを買いに一度東京ドームを離れることにした。

離れたのはいいもののどこにコンビニがあるかわからずウロウロキョロキョロしていると一台の車がぼくの横に止まった。

車の窓が開き中から60歳くらいのおじさんが声をかけてきた。

こんな夜中に何してるのどこいくの❓

ぼくはかくかくしかじかで東京ドームに来たとおじさんに伝えた。

なら朝まで寒いから車でドライブしょうと言ってきた。

ぼくはあまりにも寒いしおっさんだから大丈夫だなと思い車に乗った。

そして車は走り出し途中で世間話したこのおじさんは定食屋を1人でやっている店主さんということらしく週末の夜はこうやってドライブをするのが日課だと教えてくれた。


それからしばらく世間話していると夜でも人通りがあるネオン街に到着した。

ここに到着する前におじさんはサウナに行こうかと迷っていたが、考えがまとまり映画を見ようと言いだしてある街につき車を降りぼくを雑居ビルの地下へと案内した。

ぼくはここは映画館ではないなぁと思った。

店に入るとたまたまB'zのSNOWが流れていてお!SNOWだと思いつつ店に入りおじさんがお金を払ってなにかのビデオを手に取り個室に通された。

そこにはテレビとマンガ喫茶にあるフラットシートが敷いてあった。

そしてビデオを入れると画面が写し出された。

そこには公園で2人の男がマラソン選手の格好でランニングしていて途中でベンチに座り出した。

そのとき窓ガラスから店員がこちらを覗き込んでいた。

それをみたおじさんは激怒してビデオを止めてカウンターにいきビデオ返して店を出ようと行って出てきてしまったのだ。

ぼくをこのおじさんの正体がわかってしまったのだ⁉️

テレビでみたことはあるしウケキャラだと思っていたがモノホンをまえに

ヤバイよヤバイよーー状態だった。

しかしいま自分がいる場所が一体どこなのかわからずだったので車に乗って東京ドームに送っていてもらうしかなかったのだ。

あとで場所がわかった。

新宿でも有名な場所だった‼︎ ヒント・・・二丁目

それから車の中でおっさんが本性を表したケダモノである。

手は車のサイドバブレーキ通り越しちがうサイドブレーキを握ろうとしてくるのだ。

おじさんのブレーキが止まらくなってきた物凄い手の力を必死で払いのけ 

ようやく元の東京ドームで降ろしてもらい助かった。

そのあとはまたトイレの中で凍えブルブルしながら朝日が昇りようやく浅賀やってきた。

朝になって気づいた当日チケットなどないことを・・・・
 
東京ドームの周りを走っている人がちらほらといる朝の七時
ぼくは回りを見わたしドームのゲートでタバコを吸ってる長身のおじさんをみつけて話しかけた。

おじさんはぼくに「おまえいなかもんだろ!」
と言ってきたので

ぼくはなまりながら強い口調でちがいます!と強く否定した。

このあとおじさんと話しをしてその場を離れた。
ぼくの財布の中は四万になりセンタースタンド席の四列目のチケットが財布に入っていた。

もうあれから20年たつがぼくはこのおじさんに感謝している。

そのときのぼくにとっては必要悪だった

いまでもおじさんの行動を考えてみると情にほだされたとしか考えられない

ぼくの思い込みかもしれないが⁉
 
一例をあげるとLIVE-GYM 2003 BIG MACHINEの東京ドームの一番上の後ろが最後尾の席は23000円あるよと声をかけている時代だった。

97年のB'zのその当時の人気からして、それ以降のライブ少なくとも続く10年間の相場からしてみるとありえない値段だと思うからだ!

いろいろなことがあった一日だったが夜になりライブが始まり

初めて実物の松本と稲葉を観たときは興奮した。

すごいなぁーーファイヤボールうまいなぁ
よくあの箇所を高音で歌いあげるなぁ 

やっぱ稲葉の外見は最強だなぁとか感動のしっぱなしだったのを覚えている。

MCで稲葉が会場の奥のオーディエンスを観るためと東京ドームの一番奥の壁のスポンサー企業の名前を読みあげ始めたあのときから早20年

いままで開催された年のライブかかさず観てきたが97年のライブが自分の中では1番思い出に残るライブだった。

 

www.time12345678.com

 

 

 

 

 

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