紫のピンクのオレンジ
紫なの❓ピンクなの❓オレンジなの❓結局は何色なのといった感じだが詩の中に暮れてゆくとあることから夕陽のことを指しているのではないだろうか。
壮大に色を変えて沈む夕陽 よく見かけるシーンで夕陽はオレンジ色で綺麗だ。
夕陽はオレンジなのはわかるが沈み間際にみると紫やピンクも混じっているのか?深く考えたことないが見ようによっては見えるのかもしれない
またはオレンジ色の夕陽に照らされて空は紫色で花はピンク色をしていることなのか。
この曲を聴きいて詩を見てぼくが思ったのはこの男は手術でもするのか? といった夕陽とはかけ離れたドラマチックさもない現実的な感想だ。
「明日を迎えることに」とあるので次の日に人生の岐路に立つような出来事があり、明日が来てほしくないと漠然と怖気づいてしまいるように感じる。
募る→ますますはげしくなる
隠せない弱さ→逆に募る苛立ちを隠せる男とは確かに強い男だろう
募る苛立ちを隠せないほどのことが明日には待っている。
明日を迎えることに怖気づく、これは人生で誰にでもこのような瞬間はあるのではないだろうか、ないという人にもきっと訪れる時が来ると思う。
闇がゆっくり迫り色彩は深みを増し
夜の眠れない闇の中で、夜の闇が深みを増して自分の心の中にも闇がゆっくりと迫っていく、いまの状況から心が動けないで横たわているといた情景を創造する。
長いトンネルの中を彷徨っているような感じだが、その先を見つめると励ましている女性がいる。
その声は聞こえている。立ち直るのを待っていてくれている。わかっているが変われずにいる。
「わかってのに 変われるはずなのに」の下りは
この歌のキメどころだと思う。重みを込めて歌っている。
男も前向きになることを自らも願っており宝石のように光る日々が自分の中にあってその日々が蘇ることを願っている。
聞こえている。その声はまた笑顔を見せて答えられる日がまた来る。
応えるではなく答える?いまいちどういう状況なのかわからない明日が来ることなのだけれども
結論 Purple Pink Orangeの詩はシンプルな言葉だけに難しい
稲葉は2003年に喉を痛めて手術をしたとNHKの番組で語っていたけど
2003年と言えばビックマシーンと渚の園の頃でアラクレだったかは忘れたのだけどライブで歌っている後ろをモトクロスバイクが何回も宙を飛んでいるのを思い出す。
正直、B'zの2人よりモトクロスバイクに目がいった。
話はそれてしまったけど
稲葉も手術を受ける前日はこの歌の詩のような心境だったのではないだろうかと想像する。
励まされても万が一声がもう出せないといったことになってしまったらと思うと怖気つくと思う。
高音の声こそがB'zの稲葉の象徴であり拠り所だとぼくは思っている。
稲葉も人間、年月から来る老いには勝てない、いずれは高音の声が出せなくなるときがくる。だからこそライブをいまのうちに観ておかなければいずれ後悔すると思っている。
B'zの新曲をCDで聴いたあとライブで直に聴くとCDよりもさらにいい曲に聞こえる。いい曲だったというものが必ずある。
つい最近で言えば今年の稲葉のzepp 東京でのソロ曲の「シラセ」これは化けたなぁと思った。
昔のソロで言えば透明人間だろうか。
B'zの曲ではないのだけどB'zの中にもライブで聴くとさらにいい曲に聴こえるものがある。
Purple Pink Orangeをライブで直に聴くとCDで聴くより全然いいのかもしれない
いや 直に聴くのがいいからライブに行くのだろう。