30年以上前の話になるのだけども年が明けて深夜にアニメがやっていた。その頃、ぼくは幼稚園児か小学一年生だったのでほとんど覚えておらずアニメのタイトルさえもわからなかった。
覚えているのはお城が爆破され燃えていて馬に乗り鎧をつけた人についていく人の行列と馬に乗り橋の上でなにかの行く手を阻もうとする人のシーン、そして翌年も年明けた深夜にまた二年続けて同じアニメがやっていた。
中学生になり横山光輝の三国志を見て長坂の攻防の巻を見て新野から逃げ出す民と劉備と長坂橋で曹操の軍勢を食い止める張飛の描写を見て気づいた。ああーあの時見たアニメはこれだなと
この懐かしの長坂橋の攻防の巻で趙雲が夫人と劉備の子供阿斗様を見失い探すシーンは結構有名ではないだろうか。
二人を探している途中に夏侯淳の弟の夏侯恩と遭遇してひと槍で夏侯恩を倒し青釭の剣をゲット!
夏侯淳の弟をやられた趙雲への憎しみのシーンなど一切ない横山光輝の三国志の安定したあっさり感、太史慈の最後の描き方などその他多数あるがこの作品はあっさりし過ぎで逆に衝撃を受けるシーンがぼくはよくある。
民家でようやく夫人を阿斗様を見つけたと思ったら奥方は自分が足手まといになると息子を残し自ら井戸の中に身を投じてしまった。
奥方が趙雲にそのとき言った言葉は「手の中の珠を砕いてはならぬ」
嘆きながらも趙雲は劉備の子供を抱え何とか劉備の元へ戻ろうと戦場の中を阿斗様抱え駆け回る
途中で鉄球使いに槍をとられ逃げるも穴には落とされて危なかったが手に入れた青釭の剣で鉄球使いを一撃で倒し散々な目に遭いながらも敵陣を突破しようとする趙雲の前に曹操が立ちはだかる。
と思ったら「なにあの男が趙子龍か」関羽に続き劉備の配下を欲しがる曹操
人材コレクター優秀な人材大好きほしいほしい
その名も曹操 字は孟徳(ここが成功の要因かもしれない)
「欲しい我が配下にしたい」と言う曹操のむちゃぶりは刀も弓を使わずに疲れをまってとらえよ
部下はおもわず「とらえるあれほどの男を無傷でございますか」と曹操に問いかける。
曹操 そうだ 行け
曹操のむちゃぶりのおかげで部下は弓矢を使えずに趙雲は張飛が待つ長坂橋にたどり着く
張飛に裏切り者と言われるも「バカを言え」と阿斗様を見せて張飛に橋を通してもらい追ってきた魏軍を張飛が橋の上で撃破(弓矢を使えばいいのに)
趙雲は劉備に「若君はご無事ですが奥方は」と言って劉備に阿斗様を渡すが劉備は阿斗様をぶん投げて「趙雲すまなかった」とあやまる
趙雲 いまのおことば趙雲生涯忘れはいたしませぬ
(・∀・)劉備様に子煩悩の相がでております。後の禍の元となるでしょう降水確率100%です。
さて劉備の奥方が珠を砕いてはならむと言って井戸に身を投じ趙雲が命をかけて守り劉備の気を弱めるとぶん投げられた阿斗様はどうなったのか?
劉備の跡を継ぎ帝となり劉禅と名乗り
孔明には「お姿を見て噂を耳にすると陛下は酒と女の日々のそうだの」と言われる。
ぼくの解釈ではお姿→おデブちゃんとなる。
可愛い赤ちゃんの頃の面影もなくすっかりデブのおっさんになってしまった劉禅
そして魏に攻め込まれたとき第五子の劉諶(リュウシン)に「剣閣には精鋭達がいます降伏してはなりません」と進言したことに対して劉禅は
「馬鹿を申せ わが国の城が次々と落とされているのじゃ勝てるわけがない」
劉諶は「お父上この国を皆がどれほど苦労して作ったかお考えくだされ」
「先帝をはじめ、丞相、関羽、張飛、趙雲、黄忠その他もろもろの将兵が築いたものにございます」この言葉に対しておデブちゃん・・・もとい劉禅はたった一日でたった一日でと泣く劉諶(このあと家族とともに自害)を目障りじゃと言って翌日魏に降伏してしまった。
子供の頃、これを読んでこのバカ殿があーと思ったものだがやはり一代で苦労に苦労を重ねて自ら出世して築きあげた者は子供には自分のような不憫な思いをさせたくないと思い甘くなる法則というものが存在するのかもしれない
そして甘やかされて育った劉禅が己の可愛さに蜀を明け渡しかのように描かれているがひょっとしたらすでに魏に勝ち目はなく無駄に戦を長期化させて民を苦しめまいと思った上での降伏だったのかもしれないとちょっとだけ擁護してみるが1700年以上前のおデブちゃん・・・人物の本心など知る由もない