97年からB'zのライブに行き始めてまだ一度もライブで聴いたことかない曲
B'zの数多ある曲の中でもトップクラスの高音の曲といえば「傷心」ではないだろうか。
ライブで歌わないのは22、23曲の中に「傷心」を入れるとら途中でMCやインターバルがあるとはいえツアーでやるのは、のどにとってはキツイことだからではないかとぼくは勝手に思っている。
B'zの曲を23曲は高音地獄だ!のどから血が出る。それほどではない言い過ぎた!
ミュージックステーションで「傷心」を聴いたときは溶けかかったパーマをした稲葉の外見もすごいと思ったけど歌もすごいと思った。
「傷心」を考察してみる。
外を歩いていると、にこやかに愛し合うカップルをよく日常で見かけると思う。
周りが見えてない、2人だけの世界ではこわいものはないかもしれない、それは人間が持つ習性といったところだろうか。
「だれもがまんべんなく」
まんべんなく
行き届かないところがなく平均に
自分にも人並みの幸せが来ること願い、例え不幸になり傷ついても立ち直れると信じているといた感じだろう。
「求め合い過ぎるのが人情」ぼくはこのフレーズが好きなのだがその通りだなぁと思う。
舞い上がっている惚れ合った2人は、まるで花火のようだがうまくいかず別れたときは花火が弾け散った鐘かのように見える。
花火は綺麗だが、花火が終われば寂しいものだ。
求め合い過ぎれば過ぎるほど、光が強ければ強いほど影もまた強くなり、それが心の闇となり後遺症として残る。
相手が自分のことを好きなのかわからないときに、相手が微笑んだらどうして?と思うだろうし、恋人なのか、恋愛対象なのか、はたまた結婚なのかどんな「つながり」を求めているかと相手に対して思ったことはないだろうか?
サビの部分では「ちかよらないでおくれ」と言っているが、この主人公は片想いなのだろうか?
それとも「あの日のように」とあるように燃え上がった過去の恋愛からくる後遺症に怯える中で新しく自分に好意を持ってくれた女性に対する男の気持ちを歌ったものなのか?
ぼくが浮かんだストーリーは付き合ってはいないがいい感じと主人公は思っていた。
好きだと言わずに月日だけが流れたある日、何かを主人公は見てしまった。聞いてしまった。
それは他の男との「つながりだった」
涙を枯らして眠る。灰になってしまったような日々を送る主人公に彼女はいまも優しくしてくれる。
これ以上、優しくされてしまうと好きという、あの日の感情が蘇ってしまい、自分がどうすれば、この先いいのかわからなくなってしまうから、もう微笑むのも優しくするのもやめてくれ!お願いといった。
はい!失恋ソングではないでしょうか?ぼくはこう解釈しました。
ぼくはカラオケでB'zをというかB'zだけしか歌わないのだが、理由は声が高いから低い声がだせない歌えないからなのだけど
「傷心」は聴くよりはるか高音でびっくりもしたし、その歌の難しさに嬉しさも感じた曲だが、最後の英語の部分はいまだに歌えない。
何言ってるのかもよくわからないのでグーグルで翻訳してみた。
ああ、一人になりたい
この石の心は、すべてが行こうとします。
私に近づかないでください、私に近づかないでください赤ん坊、
もう私に近づかないでください。
それを取る、それを取る、いいえ、いや、いや、
音を聞きたくありません。
光を見たくない。
望んではいけない絶対にやりたい、
しないでください、しないでください
何言ってるのかわからないので自分が思う日本語に並べ替えてみた。
ああ、1人になりたい 冷たく石のようになってしまったこの心のままで行こう
私には近づかないでください
赤ん坊(未熟)ような私にはもう近づかないでください
また同じ行動を取る いいえ、いやだ、いやだ!
音も聞きたくありません。
光も見たくありません。決して望んでいけない 絶対にあってはならない もう優しくしないでください
SNOWに出てくる部屋で、闇の中で病んでるみたいになってしましまったが「つながり」を切り1人になりたい感が出ているように思えた。そんな英語の歌詞部分である。
ラストのシャウトは無茶苦茶たかーい 、全体的に高いのが「傷心」
きずごころではなくしょうしん
小心者の恋
いつかLIVE-GYMで聴きたい曲のアンケートで10位に選ばれたらしい。
ツアーの千秋楽のラスト曲にでも歌ってほしい曲が「傷心」