12月と言えばいつかのメリークリスマス
B'zファンでない人も街で流れいるこの曲を聴いて知ってる人も多いではないだろうか。
10代の頃、ギターの出だしのタ・タ・タン
タ・タ・タンまでは弾いてそこからは先は無理だったのを思い出すw
あとMステのロン毛稲葉が歌っているのを見て感動したのを思い出す。あの当時テレビだけが動くB'zを見ることができる唯一のぼくの方法だった。
大人になってからは東京ドームのライブで2回聴いた。
いつかのメリークリスマスの詩を考察してみる。
この曲がよいのは詩の中の物語が素晴らしく非常に悲しみ、切なさが伝わって来る。情景が浮かんでくることだと思う。
ゆっくりと12月が始まり踊る街 イベントや年の瀬ということで街は賑わっている。
「そんな街を誰もが好きになる」と思う主人公
クリスマスの日に君の欲しがった椅子を抱えて電車の中でひとり幸せを感じていた。
電車の中で椅子を抱えている人は見たことないのだけど、クリスマスに椅子とはなんだか曲に合っているさすが名曲だ。
これが現実的なブランドバックとか指輪だったら無風でこの曲は終わっていたのかもしれない
きみの欲しがったブランドバックを買った。
きみの欲しがった指輪買った。
お金の匂いがプンプンして純粋さ、素朴さが消えるではないか。
いつかメリークリスマスの詩に合うのはやはり椅子なのだ。現実的な女性が出てきたら詩が台無しではないか。
歌いながら線路沿をうちへ少し急いだのは、彼女の早く喜ぶ顔を見たいと逸る気持ちがそうさせているのだろう
夕食を作っていた君に誇らしくげにプレゼントを見せて心から喜んでくれた君を抱きしめた。
ここから
「部屋を染めるろうそくの灯を見ながら離れることはない」と言った後で
何故だがわからず泣いた
離れることはないという詩からぼくは一緒に同じ部屋でクリスマスを彼女と過ごしているとイメージするのだけど
それなのに泣くのは何故だろうか?
別れた後に1人で「部屋を染めるろうそくの灯」を見ているなら泣くのはわかるが一緒にいるのに何故泣く❓
1人のときに「離れることはない」とは言わないのではないだろうか。
きみがいなくなること
別れとは恋愛の別れではなく病魔の近づきによる別れのほうだろうか?
それともいつか別れる日が来ると思って無意識に泣いてしまったのか。
どちらをイメージして死を書いたのかは稲葉のみぞ知る。
稲葉の詩の中には1つのあらすじの物語ではなく、2つの物語を合わせたかのように感じる曲がぼくにはある。女性のことを歌ってるのかと思いきや愛犬のことかなど
立ち止まっているのくだりも切なさを上手く表現している。
クリスマスを幸せそうなに荷物を抱えて足早に歩く人
それを昔の幸せだった自分と重ね合わせて見ている主人公
いつか→幸せだった2人の過去のクリスマス
踊る街を幸せそうに過ごす人と切なく悲しい気持ちで過ごす人に明暗が別れるとイメージしやすいのもクリスマス
いつかのメリークリスマスは名曲だ。
12月24日、25日にはプレゼントに椅子を買って電車に乗ることをオススメしたくなるそんな曲なのだ。