久しぶりに『B'z LIVE-GYM 2005 -CIRCLE OF ROCK-』のライブ映像を見た。
もう10年以上前になるとは月日が経つのは本当に早いものだ。
そのライブ映像の曲の中の一つBLACK AND WHITEの映像を見て想い出が蘇ってきた。
このライブぼくは東京ドームに二回観に行ったのだけれども、その一回は彼女と観にいたのだが彼女B'z、B'zというぼくにすこぶるほど機嫌が悪くこういう問いかけをしてきた。
B'zと私どっちが大事なの?
世の中の男性で「仕事と私どっちが大事なの?」と問われた男性は相当数いるだろうがB'zとの二択を問われた男性は少ないのではないだろうか。
相手はB'z普通くらい、こちらはB'zキチガイのことは彼女は知っている。
そこを狙われたのだ!ライブ途中で席を立ち会場を出ようとする彼女を通路で捕まえたそのときステージから稲葉のあ~あ~あの声が聞こえてきたBLACK AND WHITEの始まりと同時にぼく心の中であ~ああああ見れないよと嘆いた。
必死に彼女を説得する中、会場の中から歌声が聞こえる。
あいまいさを許せないそれは時として不幸
ぼくはその通りだと思った・・・白黒はっきりさせることだけがすべてではない!
BLACK AND WHITEを考察してみる。
グラスを割りミルクをこぼした子供が犯人を探しているママに誰が割った捕まえてごらん知りたいんだろ❓という問いかけから曲は始まる。
曖昧さを許せない白黒はっきりさせたいママを見て子供はまるで隠れて鬼ごっこをしてるかのように「捕まえてごらんよ」と余裕がさえ感じられる。
白黒はっきりしないと気がすまない人間の性に対して子供の目線から物語を作り「あいまいさを許せないのはときとして不幸」と論じている。
現実の世界では白黒はっきりさせることの方が少ないと思う。
毎回、白黒はっきりさせていたら波風立ちぱなしでギスギスして大変だと思うがヤフーニュースのコメント欄には白黒はっきりさせたい人がわんさかいるように思える。
例えば芸能人の不倫に対して赤の他人のことを許せないと自分の時間を奪われてる。
グラスを割りミルクをこぼしたホシを捕まえるのに躍起になり貴重な時間を奪われるくらいならあいまいなまま、ある程度のところで切り上げてつぎに行ったほうがよいと思う。
だが、人間はそんなに割り切ることはできない他にやることがあっても執着してしまう。
スイッチが入ったらはっきりさせないと気がすまなくなるときが誰にでもあると思う。
「白黒つけたい」「勝ち負けを知りたい」という気持ちがリングのようにぐるぐる回り、そのことに囚われて周りが見えなくなる。
ミルクをこぼしたホシを見つけるのに躍起になって、ママは買物も料理の支度も忘れていたなら家族は不幸なのだ。
空に穴を開けるとはどういうことだろうか
磨いたばかりの愛車にキズをつけられて夜も眠れないのに
「空に穴を開ける」とは、車の排気ガスから出る二酸化炭素でオゾン層に穴を開けているのにそのことについて考えりゃ人は眠くなるということだろう。
排気ガスが地球を覆うオゾン層をキズつけて穴が空いているとテレビでやっていても眠くなる。
「なにかが欠けた正義感」は視点や角度を変えればいくらでも矛盾が出てきて今に他人にツッコマれて行き詰まるの❓と問いかけているように思える。
白黒、善悪、勝ち負けどれも単純でわかりやすく複雑に考える必要がない二元論だ。
逆に灰色は様々な事柄や状況を想像しなければいけないので複雑なのかもしれない
白黒つけることはときとして争いのタネになり、永遠に続く憂いのわけは白黒はっきりさせたい、勝ち負け知りたい、善悪にわけてはっきり線を引きたい
そんな曖昧さを許せない自分自身が作り出しているんだよと訴えかけている曲のようにぼくは感じた。
永遠に続く憂いのわけは自分自身だと最後まで気づかないまま
言い得て妙だなぁと思った。