三国志に出てくる諸葛亮孔明のライバル司馬懿仲達のここがすごいのではないかと思ったことを書いてみる。
横山光輝の三国志は20年以上前に中学校の図書館にやって来たときに昼休みに巻を争うように奪い合い全巻読んだ。
劉備、関羽、張飛、孔明の登場が一番多いと思うが子供の頃は単純に蜀軍はすごいガンバレーと見るだけだった。
日本の戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人を比べても信長と秀吉のほうがすごいと思っていたのだけれど大人になってみると結局のところ天下統一をした徳川家康と天下統一の基盤を作った司馬懿仲達のほうがすごいのではないかと思う。
この徳川家康と司馬懿仲達の類似点と思えるところは「我慢」ではないかと思う。
孔明の五度目に当たる北伐でも司馬懿仲達は孔明にボコボコにされていた。
孔明が作った「木牛流馬」を見てそれを四、五体奪わせて同じものを作らせてたが肝心な牛の口の中の舌を左に回す仕掛けには気付かずに
蜀軍が魏軍の輸送部隊を襲い食料を運ぶ
それを魏軍が取り返しに来たときに蜀兵が木牛流馬の口の中を左に回して逃げ魏兵が動かそうとするも
さっきまで動いていた木牛流馬が動かなくなり孔明の妖術と勘違いした魏兵は魔人の格好をした蜀軍に怯えて逃げる。
木牛流馬は牛の舌を左に回すと動かなくなり右に回すと動く一輪車でこんなハイテクな一輪車は現代にもない本当にあったのだろうか
魏の将軍郭淮(かくわい)が取り返そうとするも蜀軍の猛攻を受ける。
それを伝令で聞いた司馬懿仲達が出陣するも孔明の予定通り動きでありボコボコにされて逃げる。
仲達は蜀軍の将軍に追われて途中、二手に分かれ道の自分の行く逆の方に冠を投げて逃げることでなんとか命拾いした。
自らの智謀は孔明にとても及ばないと悟った仲達は息子の「智ある者は智を用い智なき者は力を使う」という進言にも
わしには勝算がない
負けぬように気を配るが背一杯な仲達
このとき魏軍100万に対して蜀軍34万圧倒的な孔明の智謀に引きこもり戦略をとる。
蜀軍は仲達が逃げるために落としていった冠を槍でかざして魏軍都督をこけ落とすも仲達我慢のならない魏兵をなだめる。
小さきを忍ばざる時は大謀も乱れる
ならぬ
相手にするな無視するのじゃの一点張り
孔明は困ってしまう。魏延の孔明に対する文句が半端ない人材不足の蜀
つぎに孔明は仲達に使者を送り戦わぬのは婦女子のごとしと女服を送るも
むむむと怒りを抑えてなんとか「孔明殿もいたずら好き」と笑って返す我慢の仲達
使者に孔明の生活ぶりを聞きあまりにも多忙な生活を送る孔明の長くは身体が持たないと読んだ仲達はさらに持久戦にもっていくべきと考える。
孔明自らの命数まで量られてますます困る。
この戦い、他国に攻め入り兵糧の心配もしなければいけない蜀軍34万と魏軍100万では圧倒的に不利だが孔明の智謀でなんとか打開しょうとするも魏軍100万で守りに入られては蜀軍に勝ち目なし
すべては孔明が智略が自分より優れていることを素直に認めて自らのできることを考えて孔明の弱みに焦点を合って戦った仲達の戦略勝ち
司馬懿仲達は時間を味方につけて相手の弱みにつけこみ、機が熟すまで我慢して蜀を討ち亡ぼす
司馬懿仲達から学ぶものは日常の永遠と続くと思われる他者の挑発、バカにされる、仕事で理不尽なこと耐えられない会社の人間関係を機が熟すまで我慢すること
収入の基盤を築くまでは会社を利用されているようでこちらも利用し、会社の人間や世間などこういう人間だと思わせておき核となる部分を隠しておくのがよいとぼくは思っている。
会社の人間に内緒でヤツらより収入多くしてバカにされよう、横並びで安心させておこうの計というものを現代もし司馬懿仲達が生きていたのなら考えて実行していたのかもしれない
はっきり言って人間の他者に見せている姿など本来の姿の2割くらいだと思っている。
いや3割かな 4割かな
いずれにしても他人が見せている言葉や行動など偽りも多く欺くこともしてくる。
司馬懿仲達の他者にバカにされても笑って我慢する。
虎視眈々と狙う狙う 怖い怖い
この我慢は人生戦略で大事なことなでないかと思った。
ただし、ぼくのような凡人はバカにされて我慢し続けて死去する可能性が高いのだ❗️
会社の理不尽さ,うっとうしい老いぼれ上司 上から目線の同僚 辞めてやると転職を考える前に新しい収入という頑丈な城造り、兵糧という通帳の残高をよく見て決断だ。
ここで我慢せず打って出れば討ち死にですぞ殿 生きていれば必ずや好機到来のときも来ます。