深界二層にコロニを作りは生息しているナキカバネどういう特徴を持った生物なのか
危険度:★★★(深刻)
主に深界二層に生息する大型の鳥。
高度な声帯模写を行う鳥としても知られる。大きな群れでコロニーを作り、全体で子育てをする。
見た目によらず愛情深く、雛から育てるとヒトにも慣れる。くちばしは無く、発達した舌で獲物の肉や内臓を啜り取る。
翼を広げると、両端までの幅が10mを超える個体もあり、ヒトの大人でも容易に運ぶ力を持つ。
雛から飼い慣らしてオースの街まで運んでもらったら益鳥だ。
たすけてと人の声を真似してリコとレグをおびき寄せってレグをかばってたリコを襲い巣に連れていかれていくのだがそもそもレグをかばう必要などないだろう
レグが仮にナキカバネに運ばれても、雛達には食べることなどできないはずだ。
刃も通さない、髪の毛は燃えないロボットを雛が食べれるわけがないのでレグをかばう必要などなかった。
もっとも、レグのパンチを別の鳥がカットプレイするほど連携のとれたナキカバネの群れのことだ。レグを運んですぐにリコにも襲いかかっていただろう
ご存じの通り、このあとレグの火葬砲でナキカバネは焼き鳥にされて落ちてきたリコをレグがナイスキャチして試合終了するとなるだけれども
目覚めたリコが「インシネレータ、火葬砲にしょうか」と言って名前が火葬砲になったネーミングセンスだけは優秀だ。
レグは「そんな気分にはなれない、あやうくきみごと吹き飛ばす所だったんだ」と落ち込んでいるが、あそこ撃っていなければリコは雛の餌になっていたので火葬砲を撃ったのはナイスな判断で大正解だ。
リコはレグにベニクチナワから助けたときに大体200メートル先からと言っているがかなりの距離からベニクチナワを狙ったことがわかる。
ナキカバネを撃つときにレグの記憶の中の声
どこに
どこにいるんだ
いけ
かつてこうした事があるとは、リコを探してベニクチナワに襲われているときに放った火葬砲のことではないだろうか。
リコは手帳を無くして叫んでいたのに「ま、しょうがない」という切り替えの速さ
そして、奈落の底にまで持って行きたかった理由が「のちのち発見されたとき自分が伝説になる」ことを前提に手帳を書いていること、そんな考え方があるのかと思ってしまう。
「のちのち発見されたとき」この言葉は生きてオースに帰ることはできないとすでに覚悟しているからこそ伝説を前提で、手帳に奈落の底を書いて自分の生きた証を残そうとしているのではないだろうか。
母、ライザと同じ行動だ。
ナキカバネの料理をしているときに思ったのだが、人間を食べたナキカバネを食べる短窟家のたくましさは作中で表現されているし伝わってくる。
逆にナキカバネを食べた人間をナキカバネも平気で食べるだろう❗️
ぼくが疑問に思うのは、ナキカバネを焼いて食べるのもそうだが道具もそう、どれもこれもがオースの街より不便なのになぜリコは、というか現実の世界でもエベレストに挑戦する人間がいるのか❓
作者のつくし卿は「神々の山峰」という作品に影響を受けているとインタビューで答えている。
この作品を読んだことはないのだが実在していた人物が物語の鍵として出てくるようでその名前がジョージマロリー
ぼくはたまたまグーグルでなぜ「人はなぜ山に登るのか」と検索してみたら偶然でてきた。
すごく有名な人で検索に出てきたのは必然なのだろうけども名言の中に「そこにエベレストがあるから」と答えた人で日本語では、
「そこに山があるから」と言葉を変えられているが有名な言葉だ。
このジョージ・マロリが残した言葉
クライミングに何か「効用」があるか、世界最高峰の登攀を試みるに何か「効用」があるか、と誰かに訊かれたら、私としては「皆無」と答えざるを得ないだろう。科学的目的に対する寄与など、まるでない。ただ単に、達成衝動を満足させたいだけであり、この先に何があるか目で確かめたいという、抑えきれない欲望が、人の心のなかには脈打っている。地球の両極が征服された今、ヒマラヤのその強力な峰は、探検者に残された最大の征服目標である。
なるほど、この文章をこと細かく説明する文章力はぼくにはないが己の身一つでなにがそこにあるのか確かめてみたいという衝動、これは誰にでもあると思う。
大なり小なりの小のほうだが、あの先になにがあるんだろう❓日常でも知らない街を歩けばよく感じることだ。
だだ、誰も命を懸けてまで確かめようとするスケールの大きなものに挑戦しょうとは思わない
ジョージマロリは歴史的な疑問を残しているエベレスト登頂に成功したのか否か
遺体には妻の写真がなかった。頂上に着いた記念に置いてくると娘に伝えたが写真がなかったこと
もう1人のパートナー、アンドリュー・アーヴィンが持っていたカメラが見つかれば現存できる可能性があり、登頂に成功したことがわかるかもしれなかったのだがいまも見つかっておらず謎のままらしい
この現実の出来事から照らし合わせてみるとリコの手帳に記録を残したい、奈落の底まで記録したいという行動は登山家にどこか似っていると感じる。
そして、エベレストを目指した登山家達は命を落としているほうが多いのではないだろうか?現実はそんなに甘くないということだ。
と思って調べたら結構な人が近年は登頂に成功しているではないか❗️ちょっとふざけた系もいるような感じだ。ノウハウと設備が揃ったいまの時代と昔とでは価値が違うと思う。
リコは奈落の底に辿りつきオースの街に戻りナットやシギーに再び会えるのだろうか❓
ぼくはそうはならないのではないかと思っている。作者は生死に対してこだわりがあるように思えるナレーションなどを使いよく生死のことを語っていたような。マンガによくある復活など使わずに現実に寄せてくるような気がしている。
ナキカバネに運ばれたのがオーゼンとボンドルドならどうなっていたのか空想してみた。
まずはオーゼンだがそもそも2メートルもある大女をナキカバネが持ちあげれるのか❓
仮に持ち上げたとして巣に行く途中、
度し難いねまったく
空中から真っ逆さまに落とされてマルルクにフライドチキンにされてそう。
続いてボンドルド、ナキカバネに運ばれてる最中もすばらしい、すばらしいと言っていそう。
巣の雛に突かれても、ほんとうにかわいいですねと言ってそう
枢機に還す光!
やられて終わりそう
ついでにベルチェロ院長
元からナキカバネ裸だけど、裸吊りして焼いて食べてそう。
さらにミーティ 巣について雛を
み〜 〜 なーー じ・・・ もぐもぐ 終了
最後にナナチ
んなぁ〜 完